知ることに喜びを

知ることに喜びを

知るという喜び

ドイツ語でいう「知る」には二種類ある。ケネンとヴィッセンである。ケネンは浅くしっている場合に使い、ヴィッセンは深く知っている場合に使う。

 

誰々と知り合いだという場合の知はもちろんケネンである。
ヴィッセンの方は学者が専門の事柄を知っている場合になどに使われる。あるいはまた、体験したことによって得た知もヴィッセンとなる。

 

では、ワイン通などの通はケネンだろうか、ヴィッセンだろうか。
造詣が深いのだからヴィッセンのように思われるが、ケネンであるる。広く知っていても、本当に深く知っていなければヴィッセンではないのだ。

 

こういうふうにして時分の知識を二種類に分けてみるとどうなるだろう。
もちろん浅い知ほうが多いだろうが、少しばかりはヴィッセンのほうの知もあるだろう。それが実は、時分が最も関心を寄せている事柄なのだ。

 

自分ばかりでなく、他の人も同じである。だとしたら、お互いの深い知の法衣を寄せ集めて組み合わせれば、何か生まれるだろう。それがすでに到来しているプロ社会での大きな武器になるのは当然のことだ。

 

そのためにも自分の知がどの程度であるのかわきまえておくのは重要だ。
自分の蓄えた知に関する分野の本をいくつか読んでみて、あまりに簡単すぎるという感想を抱くならば、その知はとりあえずヴィッセンである。