思っていることは率直に話せ
理由が分からなければ、不安がつきまとう。自分はたんなる道具扱いをされているという屈辱感を生む。そこを開き直った場合でも、上から命令された通りのことをすればいいだけだという無責任さが生まれてくる。
普段の生活においても、「なぜ」と訊くと、うとまれる場合が多い。あるいは本当の答えが得られない場合が多い。「そういうふうになっているから」「伝統だから」「みんな、そうしているから」というのはまともな理由とはいえない。
理由が明かされないのは中身の分からないブラックボックスを行く先々の足もとに置かれるに等しい。家庭においても社会においても大小多数のブラックボックスがある日常は不快で不安なものだ。
私はドイツに七年住んでいたが、もしドイツと日本がもっとも違うかと問われたら、こう答える。ドイツ人は子供も大人も頻繁に「なぜ」と問いかけるが、日本では「なぜ」と問うことが極端に少ないばかりか、「なぜ」と問うこと自体が嫌われる、と。
「なぜ、どうして」と素直に問うことを忌避するのは、文化を育てることではない。
「なぜ、どうして」と問い、そのつどできるだけ誠実に答えるようにすれば、日本の精神風土は良質なものになるだろう。これは自分ひとりからできる静かで確実な改革である。
考えを率直に話せ
「フランク」とか「ざっくばらん」という言い方がある。飾りや駆け引きなく率直に対応する態度を意味する言葉だ。
これらの言葉が今ではあまり使われなくなっているのは、社会的な勝ち負けの思惑、駆け引きや損得を計算する風潮になっているからだろうか。
しかし、誰に対してもフランクな物言いをし、隠しごとなく常にオープンな態度で接してれば互いによく理解できあせることは確かだろう。
まさしく、昔からの表現にあるように「胸襟を開いて」、互いの今の考えをそのまま率直に述べれば、腹探りあいや無意味な不安は格段に少なくなす。
それは、これまで不明瞭で暗かったものを明るくはっきりしたものに変えてし、まう方法の一つだ。
疑問に思うことを率直に尋ね、尋ねられたら何一つ隠すことなく続ける。このことによってて相手も自分も問題の輪郭がはっきりと分かり、疑心暗鬼が消え、ムダに苦しむことなく、解決への道を見つけることができる。
そういう態度を今まで阻止してきたのは何か。恥をかきたくないよいう気持、弱みを見せたくないという強がり、さまざまな意味でのj保身。時分はいつも相手より上に立ちたいという傲慢、相手からよく見られたいという虚飾、そして、時分のくだらない自尊心である。
けれども自尊心は正義を行うときにだけ必要なものだ。自尊心を、物事をわかりにくくするための障碍にしれはならない。
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