自分の考えを自分で批判する

自分の考えを自分で批判する

自分で自分を批判する

ようやくまとめた考えをあらためて批判してみるのは楽しいことではないし、簡単なことでもない。面倒だし、ある程度だけ自尊心が脅かされる。
それでもなお、自分の考えを厳しく批判してみるべきだ。決して非難するのではなく、批判するのだ。

 

本当に現実的に有効なものか、事実を一方的に解釈した上での考えになっていないか、損得と利害の面からのみの考えになってはいないか、何かの主義にかたよっていないか、あるいは寄りかかってはいないか、黒白つけるだけの単純な二分法に堕していないか、などいろいろと批判してみるのだ。
そうすることによって、最初の考えは徐々に修正され、ベターになっていくのだ。

 

これはいわゆる弁護法という紀元前からある思考法の応用であるが、今なおこの方法の有効性は失われれていない。
しかし、みずから批判して修正を続ける努力を放棄し、自分の考えをただ押し通すだけならば、それは一種の暴力に過ぎないであろう。
思考強制の暴力は遅かれ早かれ必ず物理的な暴力を誘ってくるものである。

 

好き嫌いと感情を排除せよ

好き嫌いしている
考えるときには、感情と好き嫌いを自分から話しておかなければいけない。
しかし、多くの人は自分の好みと感情に従うことが考えることだと思っている。まさかと思われるかもしれないが、多くの人がそうであるから、そういう多数にうけようと、選挙の立候補者はイメージ戦略に重点を置いているのである。

 

自分の好みと感情はあたかも確固としたものかのように思えるかもしれないが、それらは実は簡単に変わっていくのである。天候、体調、手持ちの金銭の多、さまざまな要因によって、好みと感情はがらりと変貌する。

 

そんな不安定なものを判断の基準にするのは、危険なギャンブルをするのと同じである。
したがって、感情が揺れているときはまともに考えられないと知っておくべきだ。考えて判断するときは、文字通りに頭を冷やしてからにしなければならない。

 

また、できるならば、損得や利害関係もいったん排除して、まっさらの状態から純粋に考えたほうが正しさに近づくのは当然のことだ。